12/31/2015

2015年の4年ぶりの元気な大晦日, ショパン「ノクターン」, 私と音楽との関わり

 一昨日、中学校時代からの、親より私を知っていそうな友人達と恒例の忘年会をやり、トークと飲食で十分楽しんでいるところ、子供達からお決まりの命令が入り、「黒ひげ危機一髪」(海賊が頭を出している樽に短刀を順番に刺していって、海賊が飛んだら罰ゲーム)とほとんど似ている「ドキドキゴリラ」というものをやらされ、しかもどうせやるなら”ゴリラが飛んだらおたまでキャッチ”付きにしようと、私が余計なことを言い、そういうことになったのですが、これが結構面白く、私は自分の年齢を忘れ、友達と子供と一緒にはしゃいで今年のエネルギーを使い果たしました。 黒ひげ危機一髪より罰ゲームがバージョンアップして面白い「ワルひげ危機一髪」というものがあると友達から聞き、次回はそれの対決をすることにしようかと思っています。

 長年お付き合いいただいて、困ったときには支えてくれ、恐いことに私の弱みを知り尽くしている、智ちゃんや千賀ちゃん(笑)、これからもどうぞ宜しく~ (^ ^♪ 


 今日は大晦日・・・。 取り敢えず新年を迎える準備は終えたところで、いろいろ思い出すと、暮れや新年には何かしら問題が起き、穏やかでかなり元気な大晦日は4年ぶりだということに気付きました。 何なんだろう・・・?と思わないではありませんが、今年のような状況に感謝するのが、一番心安らかでいられる秘訣だとも思うので、そうしておこうかと。。。



ショパン「ノクターン」(夜想曲)

  つい数日前(27日)の「題名のない音楽会」(東京オペラシティコンサートホール収録)を観た方はご存知だと思いますが、今年9月まで司会をしていた指揮者の佐渡裕さんに代わり、10月から司会を行っているヴァイオリニストの五嶋龍さんと、最年少でショパンコンクールに優勝し、最年少でショパンコンクールの審査委員を務めたという世界的に名の知れたピアニストで、中国出身のYundi Li (ユンディ・リ)さん(天才とはこういう人のことを言うのだろうと思います)が共演した、「ノクターン 第20番 遺作」の演奏が放送されました。ショパンのノクターン20番という曲は、普通はピアノのみで演奏され、ショパンらしい綺麗な旋律で、弾けば弾くほど音を追及したくなるし、気持ち一つで演奏が随分変わってくると感じる曲で、私も大好きなのですが、今回初めて”ヴァイオリンとピアノ”の演奏に出逢い、本当に聞き惚れ、感動しました。 クラシック音楽というものは、テクニックは勿論必要で、それを身につける為に皆、膨大な時間を費やす訳ですが、そればかりでなく、説得力、表現力も要求されます。 

 説得力のある演奏ができる人は、既に生まれた時から「持っている」という恵まれたタイプと、感受性が強く、生まれたあとの日々の生活の中からあらゆる感性を吸収して表現できていくタイプと、どちらにも当てはまらないけど、イメージを作って演奏する努力をひたすらするタイプなどがあると思うのですが、いずれにしても音楽家には絶対に必要なもので、聴き手を圧倒させられる表現力を持っている人は本当に羨ましい限りです。 

 私は強い感受性はそこそこあると思うのですが、表現については普段と本番のギャップもあり、苦労しました。年齢とともに少しずつ変わってはきている気もしますが、演奏においても指導においても、一生の課題だと思っています




ノクターン20番(ユンディ・リ&五嶋 龍)

*この時の映像をどなたかアップロードされていましたが、著作権のことで削除されていたようなので、音楽はこの日の演奏ですが、映像は写真の組み合わせに致しました。

  
                          

私と音楽との関わり 

 前回の投稿で少し触れましたが、今年の秋は久しぶりに”コンサートホール巡り”ができました。(そうは言っても4~5カ所程度で、一時期に比べれば全く大したことはありません) サントリーホール、東京文化会館、東京芸術劇場・・・等々、出産前までは出演したり、勉強の為に聴きに行ったり、先生や知人の演奏を聴きに行ったりと演奏会は生活の中に入っていましたが、ちょっとそういう状況から離れていて、それからまた関わってみると、本当に客観的に演奏を聴いている自分に気づき、不思議な感じがしました。 

  また東京文化会館においては、昔々の懐かしい心境を思い出すことができ、来て良かったと思えたものでした。

  私の音楽の原点とも言えるのは、ちょうどピアノと声楽とを平行して学んでおり、声楽を始めて3年目ぐらいの20代前半の頃、上野にある東京文化会館の大ホールで、オーケストラと歌の共演(オラトリオ)で、合唱のソプラノで初めて仕事として出演料をいただいて、舞台に立った時のことでした。

  当時、まだどこの音楽事務所に所属しているわけでもなく、知人が楽団の演奏者だったため、直接依頼をいただいたのですが、既に活躍されているプロの方々と楽屋等で話をすることが出来、学ぶことも多く、この機会は私にとって本当に忘れられないものとなりました。 

  曲はショスタコーヴィッチ作曲のオラトリオ「森の歌」。ロシアの曲ならではの独特な音楽で、ショスタコーヴィッチの声楽曲の中では最も有名と言われている曲です。

 それ以前にもピアノのほうでは、バレエの講演などで仕事としてホールで演奏した事はありましたが、「音楽をやっていこう!」と本気で思ったのは文化会館の「森の歌」の本番ではなく、ゲネプロ(本番直前のリハーサル)の時のことでした。説明はしにくいのですが、まあ曲の完成度が高かったのは理由の一つだと思いますが、とにかく音の大きさや迫力というのだけではなく、音楽の”力”を感じてしまった(あるいはそんな気がしただけ?)という状態になったのを覚えています。

 音楽は人の心を動かす力があるのを実感した時でもありました。 

 聴きに来ていただいた方々から、「音が体に響いてき」、「素晴らしかった」、「エネルギーをもらった」、「やっぱり音楽っていい」などと言っていただき、演奏の少しの時間だけでも何かを忘れ、楽しんだり、良い気分になっていただけることの嬉しさも感じました。

 自分が何をしたいか決める時のきっかけは皆それぞれあるものだと思いますが、私は、スランプの度にその「最初のきっかけ」というところに戻ったり、思い出したりしながら何とか進んできた様に思います。 

 芸事にスランプは付きもので、もしも今それから脱したいと思っている将来のある方達や、生徒さんの中にそう思う人がいたとするなら、「原点に触れてみる」のもいいかもしれません・・・。 

 また、これは芸術に限る事ではなく、全ての事に共通するのではないでしょうか。

 そしていずれ、音楽を学びたくても学べない子供達に指導をするという、以前からの私の願いを実現する為にも、自分と音楽の関わり方に良いバランスが保てたらと、私自身そう思っているところです。



お世話になった方々へ

 来年はどの様な年になるでしょう。 

 私は周りの人に恵まれているなといつも有難く思っていますが、今年、いろいろな解決に向けて事を進めて下さったり、傍で支えて下さったり、力を貸して下さったり、少し離れたところから常に気にかけ応援して下さった方々、また生徒さんや生徒さんのご家族におかれましても、いろいろとご協力をいただき、心よりお礼を言わせていただきたいと思います。 


有難うございました。 


 さて、私は今日と明日、東急ジルベスターコンサート(カウントダウンコンサート)と、芸能人格付けチェックを見るのを楽しみに、娘と私の母は何十枚か購入した宝くじの当選番号の発表に燃えている状況ですが、この辺で投稿を終わりにしたいと思います。 


皆さん、良いお年をお迎え下さい。

9/11/2015

息子が気に入って最近よく見ているYoutube!, 7年半前の悲しい出来事

    昨日の夜中の12時過ぎにNHKで放送予定だった ”NEXT 未来のために”という番組で「つんく」さんの特集をやると知っていたので、絶対見たいと何日も前から思っていて、録画準備もしてテレビの前でスタンバイしていましたが、関東圏内大雨、土砂災害の特別警戒などのニュースの為、番組中止になってしまいました(でもこちらも先ほど鬼怒川の堤防が決壊し、栃木、茨城などの関東から東北まで広範囲にわたって川の氾濫が起き、特別警戒、避難勧告が出されるという大惨事になってしまっている様です)

    台風が去ったと思ったら更なる災害で、明朝のニュースを見るのが怖い気がします・・・。  

    9月に入って何回太陽を見たか・・・と晴れた記憶が殆ど無い状態ですが、私の 苦手で毎年非常に長く感じる夏も、過ぎてしまうと早かった様な気もしています。


  今年の夏は世界水泳に世界陸上に、盛り上がった甲子園、バレーボールのワールドカップなど、スポーツの話題が豊富で、そのお陰で苦手な夏がやや元気に過ごせた感じもしているところです。


  最初に触れた話に戻りますが、このブログに投稿するのはどうなのかというジャンルの話なのかもしれませんが、昨年(2014年)3月に咽頭癌を公表したつんくさん(歌手でプロデューサー、1968年生まれ 東大阪市出身)が、声帯摘出手術をを行って声が出ない状態であるというニュースを見たのが今年の春だった記憶があります。   昔からわりと歌い方のセンスがいいと思っていたのでファンだったこともあり(シャ乱Qのファンという訳ではありません・・・)、歌い手が声を失うという現実をどの様に受け止めているのか、またどれだけ辛い事かと思い巡らしていたのですが、そのニュースが出た辺りから、シャ乱Q(年代が違って知らない方はごめんなさい 
!)のヒット曲がテレビで流れる様になり、その頃から今でもずっと私の小2の息子がYoutube見ながら聴いている曲がなんと ”シングルベッド”。 

  「私のもう一つのブログ」に載せた、カラフィナの ”未来” も相変わらず聴いています(^-^)
   でも、歌詞の内容は解っていなく、「僕の二段ベッドのほうがいいけどね 
!!」と言いながら聴いてるのが非常に笑えるのですが・・・。

    ちなみに私が最近よく聴きたくなる曲は、今井美樹さんの「Good bye Yesterday」。もうひとつのブログにアップロードしておきますが、これもお薦めです!


  今は医学も発達し、無くした声が取り戻せる時代だそうですので、つんくさんもまたきっと歌える日が来るのではないかと思い、応援している今日この頃です。


 7年半前の悲しい出来事   

 咽頭癌といえば、14人いる従兄妹の中で子供の頃から一番親しかった従兄が(千葉に住んでおり、幼い頃から私と双子の兄が遊びに行くたび、ドライブや海やお祭りやその他本当にいろいろな所に連れて行ってくれたり、遊んでくれ、面倒見が良く頼りがいのある人で、私が大人になっても「昌夫お兄ちゃん」と呼んでいました)、7年半前に奥さんの精一杯の看病を受けつつも49歳の若さで亡くなりましたので、とても身近で人ごとでない病気に思われます。   

    亡くなった従兄は長年製薬会社に勤めており、非常に忙しい日々を送っていたことは知っておりましたが、若い頃から丈夫で元気だと思い、大病するとは想像していなかったこともあり、このあまりに早い別れを受け入れられるはずも無く、私の人生観も大きく変わるような出来事でした。
  従兄の場合は「上咽頭癌」といって、喉というより鼻の裏側にできた癌で、声帯を摘出するとかしないとかいう選択は無く、最初から手術のできる場所ではなかったということでしたが、亡くなる直前まで従兄の母親である叔母の配慮により、癌だということを知らされずにいた為に、やっと末期の癌だと知ることができて見舞いに行ったのが、亡くなる1ヶ月半ほど前であり、その時は、意識や会話はできるけれど寝たきりで動くことは大変な状態でした。  

  闘病中のもっと早い時期に見舞いに行かれなかったことがショックだったのと、病状に対してもそんな時期に本人に何と言葉をかけたら良いのかわからず、本人の前で泣かずに話すのが精一杯で、面会後、ただただ悲しく落ち込んだことが思い出されます。
  危篤の知らせを従兄の奥さん(二人は稀に見る仲の良い夫婦で、私は学生時代から相談事はほとんど妻の和子お姉ちゃんにしていて、今もお世話になっています)からもらい、車で千葉の病院にかけつけましたが、やはり少し遠くて間に合わず、しかもその翌日に父が入院先の病院で容態が悪くなり亡くなるという、説明のしようが無い心情を経験したものでした。
  父の場合は長い病院生活でしたが、その間外泊やそれなりの看病もしたつもりであり、最期も急に病状が悪化したというわけではなかったので、ある程度覚悟も出来、悔やまれるという思いはそれほどはありませんでしたが、従兄については先ず年齢が若すぎたこと、それにあれだけ長年お世話になっておきながら、病気を知らず、励ますことも出来なかったことが今でも残念でなりません。

  配慮と言ってももっと早く知らせてくれるべきだったと、泣きながら叔母を一度だけ責めたのを覚えていますが、2年半前にその叔母も亡くなり、その時には後悔したものでした。

  相次ぐ命日は2008年2月でしたが、亡くなった従兄の誕生日が8月21日で、今年はお花は送ったものの、お墓参りに行かれませんでしたが(和子お姉ちゃんゴメンナサイ !)、人には自分で選べない境遇というものがあって、それを変えることは無理な上、いつその様な境遇が訪れるか分からないのであれば、本当にわずかな時間をも無駄にせず生きていかないといけないとつくづく考えさせられるので、我が子にもその様なことを折りにふれて伝えているところです。


私について  

   今年の秋は、いろいろと声がけをしていただいたりご縁もあり、久しく行っていなかったコンサートホールにあちこち出掛ける予定が入っており、コンサートホールと言えば子供の頃から行く機会が非常に多く、馴染みのある場所であり、あの緊張感がありつつ、響きわたる音に包まれるという感覚と雰囲気が昔から大好きなので、今から楽しみです。


  一番聞かれる「今の私の状況」ですが(私の都合で連絡していないにも関わらず、どうしているか心配していると伝言が入ってきますので、申し訳ないと思いつつ・・・)、私事については、今年3月の投稿でご紹介した弁護士の先生の、温かく、抜け目の無いお力添え(というより私が丸投げ状態 !?)のお陰で着実に進展していますので、かなり元気に過ごせています。


  今はこのぐらいのご報告にさせていただいて、「訳が解っていないけど、曲が大好きでいつも息子が見ている動画」をちょっと・・・。  

                 シングルベッド
         


  9月に会おうねと約束をした友人達にここで一言。
  「中旬以降に必ず連絡するのでもうちょっと待っててね !!」

  皆さんも充実した秋をお過ごし下さい・・・。


5/02/2015

時々ブログをのぞいてくれている方々へ

初夏の様な陽気になりました。
朝晩はまだ涼しく、夏に弱い私は「これが一年続いてくれないか」などと本気で願っているのです。

東北ではちょうど今、桜が見ごろの様です。数日前に大人の生徒さんが来た時に、「今まで全国の桜の名所は殆ど見てきたけれど、東北三大桜(みちのく三大桜名所)の中の『北上展勝地』という、岩手から宮城を流れている川沿いの桜が絶対に一番!」という話を熱く語っておりました。
(あの日は桜の話だったのかレッスンだったのか分かりません! 笑)
東京は今年は桜が咲いたと思ったらあっという間に散ってしまいましたね。

4月25日のネパールの大地震、津波や原発事故が無くとも5000人以上の死者が出て、まだこれからも増えると予想されますが、マグニチュード7.9というものが実際地震国には起こるんだと、改めて考えさせられる出来事でした。
連日の現地の様子をニュースなどで見て、皆さん心を痛めていることと思います。 

ここのところ、友人や生徒さん達から「ブログ見れば元気か分かるんだけど・・・」とか、「時々のぞいているよ!」などと、メールや電話や会った時に言ってもらうことが続きましたが、投稿しようと思う出来事があまりありませんのでほんの小さなお知らせだけちょっと・・・。

先月、体調崩してあまり外出していなかった間に、遊びで自力で作ったほんの小さなブログをアップロードしました。自力といってもそこに至るには知人に教えてもらわなければ私にはできるはずも無かったのですが、とりあえず一人で何か出来ないとという感じで最後は一応自分でやったものです。
このブログの右上の辺りにも、同じタイトルが入れてあり、見ていただける様になっていますが、今この投稿を見て下さっている方はこの投稿の末行の "私のもう一つの小さなブログ" をクリックしてみて下さい。大したものでも何でもなく、ただ「自分でやったよ」と言いたいだけ。。。
     
「ブログの更新をしたら教えて」と言ってくれる人の中の10名ぐらいには投稿したらお知らせすることがありますが、アップロードしたその日から何日もの間、100件ぐらいずつ閲覧数が上がるのが、ネットの不思議なところだといつも思っています。それなので私はたまにしか投稿しなくても、「下手なことは書けないかも-」などと思いつつ、結局下手な事しか書けないままアップして、自分でも可笑しくなるのですが、そんな私の投稿を少しでも気にかけて、見たりコメントしてくれたり、また声掛けして下さっている方々に感謝しています。

自分の近況報告の様な投稿はしばらくはしないと思いますが、先になっても投稿することがあればその時はちょっと見てみて下さい!

皆さん楽しいゴールデンウィークをお過ごし下さい。

私のもう一つの小さなブログ

3/12/2015

発表会~感激の再会,受験生の指導を終えて,東日本大震災から4年が経過した今日

 「先生、ブログまだ書かないんですか?」
 もう数ヶ月前から何人かの生徒さんからそのようなことを言われていましたが、「あ、そうだよね-!」と私はいつもそれだけ答えていた気がします。
 ただでさえ頻繁に更新をしない私ですがちょっと近況報告する気分でなかったこともあり、考えれば5ヶ月ぶりにパソコンに向かっているところです。
 この時期、年度末の3月ですし、いろいろ区切りがついたことがあったり、また東日本大震災から4年が経ち、やりたくても出来なかった心残りなことがあったり、皆さんにご紹介したい方がいたり、その様な気持ちでようやくブログを書き始めています。
 久しぶりですのでちょっと長い文章になりますが、読んでいただけると幸いです。


発表会

   つい先日の8日の日曜日、光が丘駅すぐ近くにあるIMAホールでピアノ発表会を行いました。10ヶ月以上前に会場が決まり、生徒さん達と日程の確認をしてからこの日まで、思えばいろいろなことがありましたが無事に終えることができました。
  感想といえば、今回出場した私の生徒さん一人一人が、レッスンでの私との約束を見事に果たしてくれて、嬉しいかぎりでした。
  今回、音楽校の受験生は別として、普通校の中学~大学の受験生が4人いて、そのうち3人は受験準備のお休み中で発表会に出られませんでしたが、高校受験の生徒さんの中で1人、受験勉強をしながら発表会にも出場した子がいました。発表会の数日前に高校が決まったと知らせをもらったのですが、先ずはその生徒さん(記子ちゃん)の頑張りに私が力をもらいました。彼女の本番での演奏を舞台袖で見守りながら、出来も良かったので涙が止まらず・・・でした。
 本番1週間前にスタジオで行ったリハーサルでは、完成度は高いはずなのに正直、個人の実力が発揮できていない生徒さんがわりと多く、技術より気持ちの問題だと痛感したので、そういう生徒さんには発表会までの気持ちの持っていき方を繰り返し話し伝えるようにしました。私自身、20代になってもかなり本番に弱い時もあったので、緊張する生徒さんの気持ちはよく分かっているつもりで、自分のことを思い出しながら生徒さん個人に合った克服法をなんとか考え、リハーサル以降個別に話してきました。
  ただ、それもどこかへ行ってしまうほど真っ白の状態になれば私のできることはもう無いわけですが、今回は皆見事に「自分に勝った」という演奏だったと思います。聞きにきて下さった方々からも良い評価をいただき、私としては大変満足できる会を終えることができました。
  とても落ち着いて演奏ができた生徒さんの演奏をこのブログにアップロードしましたので聞いてみてください!(フォーレ作曲 シシリエンヌ)

  それからこの日、大変嬉しい再会がありました。娘が小学校に入学した1年の時に担任を受け持っていただき、学年主任をされていた藤井貴恵子先生が娘の演奏を聞きにいらして下さったのです。
  昨年4月から他の小学校にお勤めされていましたので、その後は学校行事にいらしていて一度お会いする事はありましたが、それ以来の久々の感激の再会ができました。
  藤井先生は私が尊敬している教員の方です。娘が入学当初から藤井先生が大好きで、毎日楽しく登校していましたが、「藤井先生のクラスは必ず落ち着きまとまる」と保護者の中でも格別に評判の良い先生でした。親の私から見て何が素晴らしいかというと、感情的に叱る事が無く、子供達にしっかり愛情を感じさせる事ができる事、それと子供のちょっとした変化にすぐに気付いて報告をして下さったりする気配りなどです。そしてお会いするとホッとします。藤井先生にはついつい私も甘えていろいろご相談にのっていただきましたが、この日、娘の1年生の時のクラスのお友達やお母さん達も何人かいらしていましたので、ちょっとした同窓会のような雰囲気にもなり、本当に素敵な一日になりました。藤井先生には今後も娘の成長を見ていただけたら幸いです。

  生徒さんとご家族の方々、ご来場くださいました皆様、また会場決定当初から大変お世話になりました、サクライ楽器の高橋克一さんをはじめスタッフの方々、応援してくれた友人達に心から感謝をしております。ありがとうございました。
                

受験生の指導を終えて 
   今年度は音高1名、音大(教育学部の音楽課程を含む)3名の受験生の指導を受け持っており、こちらも先週をもって終了致しました。2名が第一志望、2名が第二志望に合格、入学が決まりました。
  昨年は、私の事情でお教えできなくなった生徒さんもいたのですが、既にお引き受けしていた受験生は当然私が指導をするということで進めてきましたが、大学の浪人はしないという揃っての条件の中で、何とかクリアできたことにほっとしているところです。
  受験生達は、時には私に叱られながら(怒鳴ってはいません! 笑)よくついてきてくれました。
  ちなみに私が卒業した音大の後輩が、この4月から1名増えるのも大きな喜びです。

  今年度の受験生と、ご家族の方々、本当にお疲れさまでした!!


東日本大震災から4年が経った今日
  ちょうど4年前、発表会の翌週だったのでレッスンを休みにしており、家で覚えものをしていた午後3時少し前、関東のどこかが震源地?と思ったほどの強い揺れを感じましたが、電車で音楽教室に行っていればこの日は帰れなかったであろうという中、とりあえず家で過ごせたことを覚えています。しかし長い時間停電の状態で、その後もその時住んでいた富士見市は計画停電の地域に入っており、毎日停電の時間帯があったり、2週間ぐらい電車は最寄駅の4駅前までしか通っておらず、その駅までの車の道は大渋滞、そしてスーパーからは物が無くなったり、車でガソリンを入れにいけば1時間以上待つという異常事態でしたが、東北の被災地、まして原発周辺に住んでいたり、津波被害に遭われた方々の大変さは、計り知れないものであったことと思います。
  知り合いの中にも被災された人が何人かおりました。原発の近隣に住んでおり、親戚のいる埼玉に移り住んで保育士をやっていた方、岩手に住んでいた父親が津波で・・・など。。。

  1年~3年、また5年目というと何かとメディアも大きく取り上げ、状況や情報の発信があったりするのですが、4年というとちょうど風化されそうな感じがしているのは多くの人が同じなのではないでしょうか。
 簡単なことではないと思いますが、復興が少しでも早く進むことを願っています。

  そんな中、以前所属していた音楽事務所の先輩達と「震災復興チャリティーコンサート」を東京ではなく東北3県で3月11日前後に行う話が昨年の秋に出て、計画を立て始め私もメンバーに入っていました。
  でも、その秋の決定の時には予定してなかった私事の一大事が、当初思っていた予定より大分遅い3月に入ることがわかった今年の1月、已む無く辞退をさせていただきました。被災地の方を思えば迷わず参加という気持ちではありますが、器用ではないので、バタバタとした今現在は人を元気にする演奏はできないと思うことと、時間的にも無理があるという理由でその様に決めました。
  何があっても動じない「本物の演奏家」にいつしかならなければと思ったりしているところです。

  ここで、東日本大震災に深く関わり、東北で素晴らしい活動をされている方をご紹介させていただきたいと思います。
  現在、都内の法律事務所で弁護士をされている瀧上明(たきうえあきら)先生です。
  弁護士になった翌年から4年間、岩手県の法律事務所で仕事をされ、東京に移住した直後に東日本大震災が発生し、慣れ親しんだ岩手県沿岸、ご自身が勤務していた事務所も大きな被害を受けた事を知り、再度岩手に戻る決意をした為東京の事務所を在籍3ヶ月で退所し、2011年7月、岩手県釜石市に自費を持って事務所を開設されました。
  その後被災地で震災関連の多くの事件を受任したり、仮設住宅巡回相談、仮設住宅アンケートなどの調査活動他、数多くの復興支援活動に携わり、被災地で3年の活動を経て活動が一区切りついたところで2014年9月より、東京の事務所に再度勤務されています。
  現在も月に数回岩手に行っているとおっしゃっていますが、私はご本人からこの話を聞く前にこの様なプロフィールを読み、「え-?世の中こういう人いるんだ-!」と驚きつつ、ご本人に確認したのが先月のことでした。
  私が瀧上先生に初めてお会いしたのは昨年の12月のことで、その時は全くこの様な活動をされている事は知らずにいましたが、お会いした最初の頃の印象といえば、非常に冷静で、優しそうではあるけれどこちらが下手なことを絶対に言えないという緊張感があったのを覚えています(笑)
 
  新聞にも活動についていろいろと取りあげられた様です。下記は瀧上先生の活動を紹介する記事の一部です。

 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2012030502100007.html
 
http://www.yomiuri.co.jp/local/iwate/feature/CO005876/20140308-OYT8T01136.html 


http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/mirai/mirai130319.html


   今回のブログで、ご本人の了承を得て今私が尊敬している方をお二人ご紹介させていただきましたが、他にも支えて下さったり協力して下さる方々に感謝をしつつ、下ばかりでなく空を見ながら歩ける日がまた必ず来ることを信じて、「今私に出来ること」を一つずつやっていこうと思っているところです。

 皆さんも素敵な春をお過ごし下さい!