12/20/2016

今年最後のクリスマスソング, 今年一番心に残った演奏 ~サントリーホールにて, 今年一年ありがとうございました


今年最後のクリスマスソング

 今年も残すところあとわずか・・・。
 何があっても無くても、過ぎてみるとあっという間の一年だったと毎年思うのですが、昨日(19日)、今年最後のクリスマスソングを歌いました。
 クリスマスはまだなのに、ちょっと早いという感じですが、クリスマスには他のイベントがあるため、今年は12月の第3週から、ミニコンサート、音楽のボランティア等のクリスマスコンサートを立て続けに行い、昨日最終日を終えたのでした。
 昨日は、地元大阪府豊中市のすてっぷホールで本番を終え、東京に飛んできてくれたNPOの代表も務めている音楽仲間も参加(出演)し、花を添えてくれまして、なかなか華やかな会になったかと思います。
 クリスマスの曲といっても、一般的に良く知られているものは殆ど讃美歌集に入っている曲なのですが、昨日最後の最後に楽器も入り、皆で大合唱した「もろびとこぞりて」という曲も、讃美歌であることを知らない方がわりと多かったようでした。
 子供は曲中の「主は来ませり~」というところを、「主は来ません~」とふざけて替え歌にするのがお決まりの様で、『私もやったー!』と、その昔を思い出しながら、こっちまで歌詞を間違えそうになる・・・という、何とも危なっかしいフィナーレでしたが、出演するこちら側と、聴き手の方々との一体感のようなものを感じられる素敵なひと時となりました。


今年一番心に残った演奏  ~サントリーホールにて 

 今年、私は大変感動した演奏に出逢えました。
 10月下旬に、港区のサントリーホールにて、NHK交響楽団と共演したロシアのピアニスト ”エリザベート・レオンスカヤ”の演奏です。
 サントリーホールといえば、20年近く前に、「第九」の合唱の仕事で歌ったのがとても懐かしいです。 
 リハーサルで舞台に立ち、お風呂のような響きに驚いたのを覚えています。客席が響く造りになっているホールはわりとありますが、舞台でそんなに響きを感じるホールは、当時は本当に少なく、数日後、豊島区の東京芸術劇場で、同公演を行ったのですが、その時には音が響かず、また舞台がサントリーホールに比べて狭く、「逆だったら良かった!」と皆で話していたものでした。そのくらい、サントリーホールは響くホールなので、逆に汚い音や、ミスも目立つわけです。

 レオンスカヤの話に戻りますが、先ずは御年71歳を目前に、ベートーヴェンの「ピアノコンチェルト(協奏曲)第3番」を弾き、圧巻でした。
 これは何だろう・・・と考え、その良さの説明もしにくいのですが、包み込まれるような音を出せる方で、心が伝わってくるというような素敵な演奏でした。

 コンチェルトは長いので、暗譜の量は半端ではないのに、危なげなく弾き切る力も凄いもので、このぐらいの歳になっても、こうでなければならないと、若手の演奏家達は皆思い、感じるのではないでしょうか?
 そしてこのレオンスカヤが、テレビのインタビューで、「ピアノが歌のように弾けていない時は、メロディーを実際に歌ってみて、それをピアノで再現する、これが大事」だと言っていましたが、本当に歌うように弾くからこそ綺麗な音楽になるのだと思います。
 そして、「腕の重みを感じて弾くことで、重くも軽くも自由にできる」ということや、いろいろと演奏の神髄について話しておりましたが、話の内容は大変重要であると共に、音楽に対する謙虚さが感じられるところに、私は感動しました。
 曲をつくり上げていくプロセスが面白いから、生まれ変わっても間違いなくピアニストになる・・・そんな話もしていました。

 今や、若手の才能あふれる演奏家がいろいろな国からどんどん出てきていますが、長年、第一線で活躍してきた演奏家の演奏は、重みがあり、また格別な気もします。ベテランの方たちに、末永く名演奏を残していただきたいものです。

 同日のサントリーホールでは、その他、私の大好きなショパンのノクターン(夜想曲)作品27-2を演奏し、その柔らかい音にはただ驚くばかりでしたが、その曲が「今年の一番心に残った曲(演奏)」になりました。
 サントリーホールでの演奏ではありませんが、この曲です(レオンスカヤの演奏録音より)
 聴いてみて下さい。


その他の演奏

ショパン ワルツ 作品64-2




今年一年ありがとうございました

 今年もまた、皆さんにご協力いただいたり、助けていただいたりして乗り切った一年のように思います。
 中でも私の先生方、音楽共々支えてくれた音楽仲間や友人達、そして子供がお世話になっている、学校長をはじめとする諸先生方には並々ならぬお心遣いやご配慮等をいただき、心より御礼を申し上げます。
 生徒さんとご家族の皆さんも、ご協力いただきありがとうございました。
 また特に、10月に行いました発表会では、夏前くらいからそれぞれにご準備があり、大変お疲れさまでした。
 生徒さんの成長を感じることができ、お陰様で実りある一年になりました。

 また、相変わらず忘れられた頃に投稿する怠慢なこのブログを、変わらず覗いてみてくれた方々にも、大変感謝しております。貴重なご意見などもありがとうございました!
 その怠慢な投稿に反省したわけでは全くありませんが、来月もきっと投稿します(すると思いますにしておきます) 笑

 私もいろいろな事が一段落した暁には、他県などでも仲間たちの活動の力になれることを願っています。
 来年それが叶うか否かはまだわかりませんが、音楽を指導することは別として、演奏を行うということは、人のために、誰かのためにと言っても形となって残るものではありません。それでも、その音楽を聴いていただいている間だけでも心が豊かになったり、ちょっとでも楽しいとか、良い思い出になったと感じて下さる方が少しでも増えればと思いつつ、できる範囲で演奏活動も続けていかれたらと考えています。

 「新しい年には何かひとつ新しいことを・・・」これを私が今まで一応実行してきており、今後も続けていかれるように、その材料を見つけるための「自分探しの旅」を続けて参ります。

 一年間、本当にありがとうございました。
 皆さん良いクリスマス&良いお年をお迎え下さい。

 







8/08/2016

熱海海上花火大会, リオオリンピック, ピアニスト中村紘子さんの訃報~出会いと別れについて思うこと


熱海海上花火大会

    7月末に、例年より遅い梅雨明けがあり、また私の苦手な夏がやってきました。

  子供の頃は夏嫌いではなく、夏休みの思い出といえば、愛知県の伊良子岬、和歌山県の南紀白浜によく旅行に行ったのと、父の呉服会社の取引先からの招待旅行で、静岡の熱海にも毎年のように行っていたのも楽しい思い出です。伊良子や南紀と違って、熱海はその場所(街)自体が好きなわけではないのですが、何が良いかといえば壮大なスケールの”海上花火大会”これがすごいんですよね・・・。  花火を見て音がすごくて泣きだしていた私の子供たちも、その時期を脱し花火を楽しめる様になったので、数年前から連れていっています。

  今年もやや放心状態に近いものを体感しながら観てきました。

  今年65年目を迎えた”熱海海上花火大会”は、もともと昭和24年の台風による高波で140戸あまりの家屋が流失する災害、その翌年の熱海駅前火災、更にその直後の熱海中心街の1000戸近くが消失した大火に見舞われ、その後の復興に向けて地元市民による努力が続き、その努力に報いるべく、昭和27年に打ち上げられたのが始まりだそうです。  

   3面を山に囲まれ、「すり鉢」状の地形になっているので、海で上げる花火の音が物凄く反響し、心臓が破れそうなほどの迫力があり、この花火大会のメインの「グランドフィナーレ」の頃になると、もう気絶しそうなほどで、頭の中にある嫌な事が全て無になる瞬間が訪れてくれるのです!  

   花火は海上が一番かなと私は思っておりますが、熱海の花火は夏に7~8回、9月に1回程度、それと12月にも数回あるそうで、私は今年も含め夏しか観た事がありませんが、友人が言うには「冬もいいよー!」との事、一度は”熱海会場花火大会”を観てみてはいかがでしょうか?




リオオリンピック

   日本との時差が12時間というブラジルのリオデジャネイロでのオリンピックが開催されました。

 すでに競泳400メートル個人メドレーで、萩野公介治選手が金メダル、瀬戸大也選手の銅メダル、ウエイトリフティングの三宅宏実選手(可愛らしくてとても好きです)の銅メダル獲得で盛り上がっており、明るいスタートとなりました。

   治安やオリンピック会場の建設の遅れも心配されていましたが、6日には開会式は無事迎えられた様で良かったですね。

 今回の開会式は、私は湯河原(神奈川県になりますが、千歳川という幅の狭い川を挟んで静岡とのほぼ県境にあります)のホテルのロビーで、移動の合間にちょっとだけ見る事が出来たという感じでしたが、今後の競技は寝不足覚悟で、できる限り観て応援をしたいと思っているところです。
 「メダル」は獲得できれば本当に盛り上がり、その国の皆が元気を与えてもらえるものだと思います。
 選手たちは結果を出す事に全てをかけて臨むのでしょうから、スポーツと言ってもオリンピックの舞台は、ある意味戦場の様な場所であるのかもしれません。
 ただ、2回のオリンピックを経験し、メダルには手が届かなかった元競泳女子代表の千葉すず選手が、先月の番組インタビューで、「メダルとはご自身にとってどういうものですか?」などという質問をされ、それに対して、「メダルをとれるかとれないかの差はあまりに大きくて、ある意味酷です」と、涙を浮かべながら答えていたのを見て、いろいろ考えてみると、そういえば子供の運動会で競技の結果だけが話題になる事はほとんど無いわけで、”一生懸命やっている姿”に感動する人(親)が多いという事などが思い出され、個人的には”メダルをいくつとれるか”というところからちょっと反れて、いろいろな角度から楽しみながら代表選手たちを応援できれば良いかなと思ったりしています。

   一番応援している選手といえば、実は競泳背泳ぎの入江陵介選手です・・・。ロンドンの銀メダルから多くの苦悩を乗り越え、日本の若手選手を引っ張ってきた成果は、たとえ今回メダルに届かなくとも、皆認めてくれるのではないかと思っています。
   寝不足覚悟で、選手皆さんの応援頑張ります!

   また、来週15日には71回目の終戦記念日を迎えますが、”オリンピックは平和の象徴”であることを改めて認識し、それと共に正しい歴史認識を子供たちが持てる様に伝えていかなければならないと考えているところです。



ピアニスト中村紘子さんの訃報 ~出会いと別れについて思うこと

  7月26日、クラシック音楽の関係者でなくとも、ほとんどの人が名前は知っているのではないかというほど有名なピアニストの中村紘子さんが亡くなりました。

  もっと若くして亡くなる方もいらっしゃいますが、72歳ではまだ亡くなってもらいたくない、本当に残念なニュースでした。

  ショパンやチャイコフスキーなどの曲をダイナミックに弾く事で知られていると思いますが、中村紘子さんは3歳から小澤征爾先生等とともに、音楽の英才教育を受けてきたという方、「お湯を使って食器を洗うと、せっかく付いた手の筋肉が緩むからできないんです」という中村さんの発言を、私は小学校低学年の頃に聞き、母親に「ピアニストになると食器洗わないでいいの?」などと質問したのを今でも覚えています。  

   小学校時代、私はピアノをやってはおりましたが、それだけに専念してはいなく、フィギュアスケート他いくつかの習い事に時間を使っていたので、音楽のほうに進むと決めてもいなかったのですが、それでも子供の頃から中村紘子さんという存在は大きく、NHKのピアノ実技の講座番組に長年講師として出演されていたのは欠かさず観ておりました。  

    ピアノを弾くというよりむしろ「歌う」と表現されており、その頃から私は、中村さんの指導を観ていると、絶対に自分の演奏に何かが足りないと気付くものがあり、技術を身につけるための練習をするのは当たり前で、そのほかに大切なことがどれほどあるのかという事を知るきっかけとなったものでした。  

   ”お湯で食器を洗わない”発言は一般の人からするととんでもない事かもしれませんが、中村紘子さんくらいの人であれば言える事なんだと、いつの日か思うようになっていたのでした。  

   このぐらい有名になると、世間も演奏家に対して厳しくなり、中村さんの演奏に賛否両論はありましたが、ご自身がそれを一番よく解っており、謙虚に受け止め、精進されていたと私は思います。

  また、ある程度演奏活動をされた後に、ジュリアード音楽院でピアノの指導を受けた際に、これまで学んできた技術をことごとく否定されて、大変な思いをされたとのことでしたが、今でこそ海外留学する人も増え、本物の技術を学べる機会が増えてきたものの、日本人にとって伝統があるわけではない西洋音楽が世界に通用するなどということがどれほど大変だったかと思うと、あの時代に世界的ピアニストとして知られた中村紘子さんはやはり「偉大」であるわけで、この訃報は本当に残念に思いました。


    音楽においてもそれ以外の様々な場面においても、自分にとって大きな影響を与えてくれたり、心の支えになったり、あるいは自分が大切にしたいと思ったりする人と、一生のうちにどれだけ出逢えるのでしょうか・・・。

  その数が多ければ多いほど良いとも思わないのですが、その様な出会いはやはり宝なのでしょう。  

    私の周りには、大切な人を亡くして悲しい思いをした、または未だにそういう思いをしている人が何人もいます。

  亡くなったのではなくても、ついこの間、悲しい別れがあったと話してくれた生徒さんがいました。

  (でもそれは、縁があるのなら、またきっと会えると思いますよ・・・ !)。


    20代、30代の頃には、それほどピンとこなかったのですが、瀬戸内寂聴さんの名言というものの中に”人生とは、出会いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に、嬉しいことや悲しいことがあり、それを無事に越えていくことが生きるということなんです”というものがあり、それが本当に解ると楽なのだそうですが、その意味が最近は理解出来る様になってきた気がします。

  知人の中に、「せっかく親しくなっても別れるのが辛いから、人とは最初から距離をおく」と言っていた人がいて、私は解る気はしますが、ちょっとそこまで割り切るのはさみしい気もするので、「いつか別れるという覚悟はして、良い出会いや縁は大切に大切にする」という思いに、今のところ辿り着いています。


  毎年のことながら、受験生は夏休みは頑張り時!

       たくさん栄養をとって、健康第一で一緒に頑張りましょう。


  皆さん、思い出に残る素敵な夏をお過ごし下さい!


ショパン エチュード Op10-4  故 中村紘子さん


*余談ですが、「私のもう一つの小さなブログ」にYOSHIKI   作詞 作曲のかなりいい曲(ご存知の方も多いかと思いますが、”薔薇のように咲いて 桜のように散って”)をアップしましたので、クラシックの話しから反れて、さすがにここには載せられないかなという感じですので下記より聴いてみて下さい!
  耳に残るフレーズが折り重なる曲をつくるところが、流石ですよね!
 http://pianovoce.blogspot.jp/
  
  

 


  
  
 
  


  

  

4/01/2016

新年度を迎えて

  思えば今日から新年度のスタートなのですね。
    今までの私のペースからすると、3月のどこかでブログを更新するだろうと思って、チェックして下さっている方が結構いたそうで、それを知り、私も「そろそろ何か投稿しないと・・・」と思いつつ、ただ単に気乗りがしなく、投稿も先延ばしにしていました。

    今年は3月11日前後に2回、被災地でではありませんでしたが、演奏を通して震災復興のイベントに微力ながら携わることが出来ました。
  東日本大震災から5年が経ち、震災についての話を、人前でマイクを持って話すなどという初めての経験もしました。
  突然の流れで演奏前に一言話すことになったので、アドリブもいいところで、被災した知人の話を少々したにすぎませんでしたが、それを聞きながら、また復興ソングの「花は咲く」の演奏の時に涙を流している方達がたくさんいらっしゃるのを見て、あの3.11がいかに大きな出来事だったのかを改めて感じました。
  
   昨日は東京で桜が満開というのを知りながら、予定が入っていて桜は見に行かれず、「明日にでも見に行こうかな」と思ったり、報道ステーションの司会をしていた古館伊知郎さんが降板するのが非常に残念だと思ったりしていましたが、そこへ昨日は芸能ニュースが満載だったそうで、私に次々に似た内容のメールなどが送られてきました(笑)
 「三船美佳を通り越して藤原紀香になれ」って・・・エールだか冗談だか解らないようなメールを、皆さん有難うございました(笑)
 一斉返信もちょっと・・・と思い、それでいて個別の返信もしていないのですが、この投稿でお礼を申し上げますので、これでお許し下さい(笑)
    確かに年齢は藤原紀香に近いけれどねー。。。
 気に掛けていただきて有難うございます!!!

  学生さんは皆春休みで、新年度の準備というところかと思いますが、如何お過ごしでしょうか?
  我が家は、温泉旅行の予定が私がちょっと体調を崩し、遠出は難しいという状況で急遽中止となり、子供達をコンサートやアイススケートに連れていったりしながら新年度のスケジュールの調整をまだやっているところです。

  この間の日曜日、池袋の東京芸術劇場に子供たちを連れて行ってきました。
 子供が楽しめるプログラムで、宮川彬良(みやがわあきら)さんという、作曲家で、ピアニストで、演出家でもある才能のある音楽家がいらっしゃるのですが、ピアノを習う子供が必ずといって良いほど勉強する「ブルグミュラー25の練習曲」の中の、「アラベスク」や「貴婦人の乗馬」をピアノとオーケストラのコラボ用に編曲されていたり、アンコールのベートーヴェンの「運命」も、他の曲とミックスさせて子供が飽きない長さに編曲されていたりと、楽しくて勉強になるコンサートでした。
  因みに宮川彬良さんのお父様は10年ほど前に亡くなっていますが、宮川泰(みやがわひろし)さんという、超有名な作曲家で、また奥様もバイオリ二ストという音楽一家です。
  私の二人の子供達も「楽しかった」と言っていたので、とても良かったです!
  就学前から、小学生くらいのお子さんをお持ちの方には、宮川さん演出のコンサートはお薦めです!

  それと、今年二分の一成人式(最近、学校でも生まれてから10年の歩みということで、親も参加する行事の一つとしてとりあげてくれています)を迎えた娘が、私や私の母以外に「大事なことを相談できる人ができた!」と異常なまでに元気で機嫌が良く(相談しているのか、言いたいことを言ったり聞きたいことを聞いているだけにも思え、その方に申し訳ない気もしていますが・・・ 笑)、私自身がそういうことで救われている感じがしております。
  新年度もするべきことを一つずつ、周りの方たちにお世話になりながらやっていこうと思っているところです。

   今からちょっと桜を見に行って来ようと思っていますが、下の息子が「桜なんてテレビで見られんだから十分じゃない!?」と言い出し、先ずは誘い出すことから・・・になりそうです。

  新年度、皆さんにとって良いスタートとなります様に・・・。