熱海海上花火大会
7月末に、例年より遅い梅雨明けがあり、また私の苦手な夏がやってきました。
子供の頃は夏嫌いではなく、夏休みの思い出といえば、愛知県の伊良子岬、和歌山県の南紀白浜によく旅行に行ったのと、父の呉服会社の取引先からの招待旅行で、静岡の熱海にも毎年のように行っていたのも楽しい思い出です。伊良子や南紀と違って、熱海はその場所(街)自体が好きなわけではないのですが、何が良いかといえば壮大なスケールの”海上花火大会”これがすごいんですよね・・・。 花火を見て音がすごくて泣きだしていた私の子供たちも、その時期を脱し花火を楽しめる様になったので、数年前から連れていっています。
今年もやや放心状態に近いものを体感しながら観てきました。
今年65年目を迎えた”熱海海上花火大会”は、もともと昭和24年の台風による高波で140戸あまりの家屋が流失する災害、その翌年の熱海駅前火災、更にその直後の熱海中心街の1000戸近くが消失した大火に見舞われ、その後の復興に向けて地元市民による努力が続き、その努力に報いるべく、昭和27年に打ち上げられたのが始まりだそうです。
3面を山に囲まれ、「すり鉢」状の地形になっているので、海で上げる花火の音が物凄く反響し、心臓が破れそうなほどの迫力があり、この花火大会のメインの「グランドフィナーレ」の頃になると、もう気絶しそうなほどで、頭の中にある嫌な事が全て無になる瞬間が訪れてくれるのです!
花火は海上が一番かなと私は思っておりますが、熱海の花火は夏に7~8回、9月に1回程度、それと12月にも数回あるそうで、私は今年も含め夏しか観た事がありませんが、友人が言うには「冬もいいよー!」との事、一度は”熱海会場花火大会”を観てみてはいかがでしょうか?
リオオリンピック
日本との時差が12時間というブラジルのリオデジャネイロでのオリンピックが開催されました。
すでに競泳400メートル個人メドレーで、萩野公介治選手が金メダル、瀬戸大也選手の銅メダル、ウエイトリフティングの三宅宏実選手(可愛らしくてとても好きです)の銅メダル獲得で盛り上がっており、明るいスタートとなりました。
治安やオリンピック会場の建設の遅れも心配されていましたが、6日には開会式は無事迎えられた様で良かったですね。
今回の開会式は、私は湯河原(神奈川県になりますが、千歳川という幅の狭い川を挟んで静岡とのほぼ県境にあります)のホテルのロビーで、移動の合間にちょっとだけ見る事が出来たという感じでしたが、今後の競技は寝不足覚悟で、できる限り観て応援をしたいと思っているところです。
「メダル」は獲得できれば本当に盛り上がり、その国の皆が元気を与えてもらえるものだと思います。
選手たちは結果を出す事に全てをかけて臨むのでしょうから、スポーツと言ってもオリンピックの舞台は、ある意味戦場の様な場所であるのかもしれません。
ただ、2回のオリンピックを経験し、メダルには手が届かなかった元競泳女子代表の千葉すず選手が、先月の番組インタビューで、「メダルとはご自身にとってどういうものですか?」などという質問をされ、それに対して、「メダルをとれるかとれないかの差はあまりに大きくて、ある意味酷です」と、涙を浮かべながら答えていたのを見て、いろいろ考えてみると、そういえば子供の運動会で競技の結果だけが話題になる事はほとんど無いわけで、”一生懸命やっている姿”に感動する人(親)が多いという事などが思い出され、個人的には”メダルをいくつとれるか”というところからちょっと反れて、いろいろな角度から楽しみながら代表選手たちを応援できれば良いかなと思ったりしています。
一番応援している選手といえば、実は競泳背泳ぎの入江陵介選手です・・・。ロンドンの銀メダルから多くの苦悩を乗り越え、日本の若手選手を引っ張ってきた成果は、たとえ今回メダルに届かなくとも、皆認めてくれるのではないかと思っています。
寝不足覚悟で、選手皆さんの応援頑張ります!
また、来週15日には71回目の終戦記念日を迎えますが、”オリンピックは平和の象徴”であることを改めて認識し、それと共に正しい歴史認識を子供たちが持てる様に伝えていかなければならないと考えているところです。
ピアニスト中村紘子さんの訃報 ~出会いと別れについて思うこと
7月26日、クラシック音楽の関係者でなくとも、ほとんどの人が名前は知っているのではないかというほど有名なピアニストの中村紘子さんが亡くなりました。
もっと若くして亡くなる方もいらっしゃいますが、72歳ではまだ亡くなってもらいたくない、本当に残念なニュースでした。
ショパンやチャイコフスキーなどの曲をダイナミックに弾く事で知られていると思いますが、中村紘子さんは3歳から小澤征爾先生等とともに、音楽の英才教育を受けてきたという方、「お湯を使って食器を洗うと、せっかく付いた手の筋肉が緩むからできないんです」という中村さんの発言を、私は小学校低学年の頃に聞き、母親に「ピアニストになると食器洗わないでいいの?」などと質問したのを今でも覚えています。
小学校時代、私はピアノをやってはおりましたが、それだけに専念してはいなく、フィギュアスケート他いくつかの習い事に時間を使っていたので、音楽のほうに進むと決めてもいなかったのですが、それでも子供の頃から中村紘子さんという存在は大きく、NHKのピアノ実技の講座番組に長年講師として出演されていたのは欠かさず観ておりました。
ピアノを弾くというよりむしろ「歌う」と表現されており、その頃から私は、中村さんの指導を観ていると、絶対に自分の演奏に何かが足りないと気付くものがあり、技術を身につけるための練習をするのは当たり前で、そのほかに大切なことがどれほどあるのかという事を知るきっかけとなったものでした。
”お湯で食器を洗わない”発言は一般の人からするととんでもない事かもしれませんが、中村紘子さんくらいの人であれば言える事なんだと、いつの日か思うようになっていたのでした。
このぐらい有名になると、世間も演奏家に対して厳しくなり、中村さんの演奏に賛否両論はありましたが、ご自身がそれを一番よく解っており、謙虚に受け止め、精進されていたと私は思います。
また、ある程度演奏活動をされた後に、ジュリアード音楽院でピアノの指導を受けた際に、これまで学んできた技術をことごとく否定されて、大変な思いをされたとのことでしたが、今でこそ海外留学する人も増え、本物の技術を学べる機会が増えてきたものの、日本人にとって伝統があるわけではない西洋音楽が世界に通用するなどということがどれほど大変だったかと思うと、あの時代に世界的ピアニストとして知られた中村紘子さんはやはり「偉大」であるわけで、この訃報は本当に残念に思いました。
音楽においてもそれ以外の様々な場面においても、自分にとって大きな影響を与えてくれたり、心の支えになったり、あるいは自分が大切にしたいと思ったりする人と、一生のうちにどれだけ出逢えるのでしょうか・・・。
その数が多ければ多いほど良いとも思わないのですが、その様な出会いはやはり宝なのでしょう。
私の周りには、大切な人を亡くして悲しい思いをした、または未だにそういう思いをしている人が何人もいます。
亡くなったのではなくても、ついこの間、悲しい別れがあったと話してくれた生徒さんがいました。
(でもそれは、縁があるのなら、またきっと会えると思いますよ・・・ !)。
20代、30代の頃には、それほどピンとこなかったのですが、瀬戸内寂聴さんの名言というものの中に”人生とは、出会いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に、嬉しいことや悲しいことがあり、それを無事に越えていくことが生きるということなんです”というものがあり、それが本当に解ると楽なのだそうですが、その意味が最近は理解出来る様になってきた気がします。
知人の中に、「せっかく親しくなっても別れるのが辛いから、人とは最初から距離をおく」と言っていた人がいて、私は解る気はしますが、ちょっとそこまで割り切るのはさみしい気もするので、「いつか別れるという覚悟はして、良い出会いや縁は大切に大切にする」という思いに、今のところ辿り着いています。
毎年のことながら、受験生は夏休みは頑張り時!
たくさん栄養をとって、健康第一で一緒に頑張りましょう。
皆さん、思い出に残る素敵な夏をお過ごし下さい!
ショパン エチュード Op10-4 故 中村紘子さん
耳に残るフレーズが折り重なる曲をつくるところが、流石ですよね!
http://pianovoce.blogspot.jp/